補陀山 法光寺は、西武池袋線吾野駅下にある曹洞宗の古刹である。寺伝によると、至徳三年(1386)吾野要害山城主岡部新左衛門入道妙高が、父祖の岡部六弥太(鎌倉御家人)菩提のために始め真言宗の寺院として創建されたと伝えられえる。その後、天正年間(1573~92)に関東曹洞宗の三刹、越生龍隠寺第十二世日峰伊鯨禅師により曹洞宗に改宗されている。
現在の本堂は元禄十三年三月二十五日当寺七世の超岩卓全和尚の代、番匠村の棟梁正木文右衛門家次により再建された物である。(間口十一間 奥行7間 総瓦葺き本堂)
当寺本尊「延命地蔵菩薩」(木彫寄木造坐像)は県指定重文となっている。
本堂左手に、二階建て民家風の観音堂がある。入口前に二本の石柱が立っており、右側には曹洞宗法光禅寺、左側には武蔵野観音霊場第三十一番札所と書かれている。1階はコンクリートの土間で、正面に武蔵野観音霊場札所本尊の十一面観世音菩薩が安置されており、二階は客殿となっている。
また、山門の前には、江戸初期に造顕された「六地蔵尊」が祀られており、地元の人々の信仰があつい。
その他、寺宝の刀剣「福岡一文字」(文化財保護委員会登録(埼)10377号長さ二尺五寸三分)等、その他多数の銘木、銘石を有する。
当山裏山の中腹に、十一面観音(行基の作)を祀る「岩殿観音」がある。石灰岩の石窟で、文和五年(1356)比丘元灯はこの山の霊感に打たれ数百人の協力者を得て石龕を完成したといわれている。(埼玉県重要文化財)
現在の本堂は元禄十三年三月二十五日当寺七世の超岩卓全和尚の代、番匠村の棟梁正木文右衛門家次により再建された物である。(間口十一間 奥行7間 総瓦葺き本堂)
当寺本尊「延命地蔵菩薩」(木彫寄木造坐像)は県指定重文となっている。
本堂左手に、二階建て民家風の観音堂がある。入口前に二本の石柱が立っており、右側には曹洞宗法光禅寺、左側には武蔵野観音霊場第三十一番札所と書かれている。1階はコンクリートの土間で、正面に武蔵野観音霊場札所本尊の十一面観世音菩薩が安置されており、二階は客殿となっている。
また、山門の前には、江戸初期に造顕された「六地蔵尊」が祀られており、地元の人々の信仰があつい。
その他、寺宝の刀剣「福岡一文字」(文化財保護委員会登録(埼)10377号長さ二尺五寸三分)等、その他多数の銘木、銘石を有する。
当山裏山の中腹に、十一面観音(行基の作)を祀る「岩殿観音」がある。石灰岩の石窟で、文和五年(1356)比丘元灯はこの山の霊感に打たれ数百人の協力者を得て石龕を完成したといわれている。(埼玉県重要文化財)