■奥の院 岩殿観音窟石龕
縁起によると、行基菩薩が東国巡錫の折、この洞窟で一夜を過ごし、そこで見た霊夢に白馬堂子が現れ、『十一面観音を安置せよ』と告げた。翌日山上にあった霊木で手彫りの十一面観音像を洞窟内に安置したとされ、その後、貞和二年(1346)比丘元燈がこの山の霊感に打たれ多くの信者の協力を得て石龕を造立したものとされる。
行基菩薩の本尊は失われ、現在は人間国宝香取正彦氏(法光寺梵鐘鋳造)の父、香取秀真氏鋳造の十一面観音像が納められております。
朱塗のお堂の扉を入った洞窟内は、人が入ると電灯が点くようになっているが、薄暗く霊気が漂っています。
観音窟の周辺には弘法の爪書き不動、弘法の硯石、畠山重忠の馬蹄跡、宝生の滝など、数多くの霊跡が残されています。
奥の院 岩殿観音窟お堂・窟石龕の他に弘法の爪書き不動・宝生の滝・畠山重忠公の馬蹄跡・弘法の硯石などがございます。
行基菩薩の本尊は失われ、現在は人間国宝香取正彦氏(法光寺梵鐘鋳造)の父、香取秀真氏鋳造の十一面観音像が納められております。
朱塗のお堂の扉を入った洞窟内は、人が入ると電灯が点くようになっているが、薄暗く霊気が漂っています。
観音窟の周辺には弘法の爪書き不動、弘法の硯石、畠山重忠の馬蹄跡、宝生の滝など、数多くの霊跡が残されています。
奥の院 岩殿観音窟お堂・窟石龕の他に弘法の爪書き不動・宝生の滝・畠山重忠公の馬蹄跡・弘法の硯石などがございます。