応仁元年(一四六七年)有度浜沖に夜々霊光を放ち、綺雲が四方にたなびいているのを見た漁師が海中に網を放ちました。
そして引き上げられたのが、丈3尺程の自然石で出来た地蔵菩薩でした。

そのお地蔵さまは大変霊験あらたかだった為、村民達は謹んでこの霊像を敬い、堂宇を建ててお祭りしたのが起源とされております。

その後、徳川家康公が駿府城へ隠居をする際、当時関三刹の中の一か寺であった千葉県市川市の総寧寺十八世勝国良尊大和尚に「 駿河の地に法燈相伝の敵地がある」と勧めました。
そして慶長十二年  >続きを読む