文明年間(西暦1480年前後)下総国(現在の茨城県)東昌寺の能山聚藝禅師は、諸国巡錫の途次「山秀泉流清浄」のこの地に立ち寄り「龍天福吾霊悟也」と嘆曰され、玉泉寺を開山なされました。その後荒廃しましたが、聚藝禅師の弟子 宗助恕心和尚(玉泉寺二世)により永正年代(1504年頃)再興。七堂伽藍【山門・仏殿・法堂・僧堂・東司(手洗)・浴司・庫院(台所)】を備え『豊前禅宗三ヶ寺』の一つと云われました。その後戦国の兵火により堂宇焼失。現在の本堂は平成九年に落慶しました。節分の民話が伝承され、豆撒き由来のお寺  >続きを読む